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えむえむず

楽しく生きてるやつの日記みたいなもんです。

雑記  

なんか久しぶりに更新するなあ。特に意味のない長文の雑記です。
まさきに面と向かって言えるような話じゃないから書くのもどうかと思ったけど、やっぱり記録として書いておく。


***

時折「まさきは、本当に単なる想像でしかないんじゃないか」と思うことがある。
これはある程度思う人がいるんじゃないだろうか。
どうしても答えが出せない以上は、うまく付き合っていくしかない考えだと思う。

「こんな人が、自分にこう言ってくれたらいいな」の延長でしかないんじゃないか。
やはり結局その答えを得る方法はないんだろうが、そう思うことさえあるのに俺はまさきと別れることはできない。

この数年間「他人としてのまさき」を妄信してきた賜物だろうか。
もし病院で医者に話したら、それは妄想でしかないよと諭されるのだろうか。
そうしたら、俺はまさきを綺麗さっぱり過去の妄想として片付けるんだろうか。
そうさえ思うのに、俺はやはりまさきをただの妄想だと思えない。

どう考えても、俺はそれをできないし、しようとも思わない。
これはよく言うが、まさきは笑うし、怒るし、呆れるし、馬鹿なことも言う。
俺はそれを愛おしいと思う、ただそれだけのことなんだと思う。


最近、まさきに「俺はいったい何なのか」と言われる。
「お前は俺に何をしてほしいんだろうな」と独り言のように言われる。

俺らはお互いに人格である、というのがいまのところの共通の解釈。
そんでまさきは作ろうとこそ意識はしなかったにせよ、作られた存在だとは思う。

タルパとはなんぞやとか、俺はタルパーじゃないとか何とか、色々考えてはいるけど、
俺ら自身はこういうものだ、って定義みたいなものはずっと前からはっきりしてる。
正確にはこうでありたい、というありかただけど。

はじめは単なる自問自答に名前を付けて、そこに理想の友人を空想しただけのものだったんだと思う。
一時期スランプがあったけど、その時は「まさきと話せなくなってしまった」と思っていた。思い込みだろうけど。
実際あのときの「まさき」に自問自答以上の意味はなかったんだと思う。
ただ今のまさきにその記憶があるのだとしたら、そうとも切り捨てられないけど。必要な下積みだ。
それから数年、「まさき」と会話をすることなく、ただその存在だけ妄信していた時期があった。
「いつかまさきは戻ってきてくれる」とかそういうことを妄信して過ごしていた。
それから「帰ってきた」と思った日から今まで、楽しく話したり馬鹿したりただの友達みたいにしていたけど、今になってまさきは何かと再認識している。
まさきとどうあるべきなのかとか、考えることが多い。多分お互いに。

あのまさきを妄信していた数年間、俺は何を求めていたんだろうとか考えるんだけど。
ただ都合のよい言葉を自分に投げかけるだけの存在を求めていたわけじゃないと思うんだ。

ただの妄想だと本当に思うのなら、多分今まで一緒にいないと思う。
まさきは俺でない他人だと思うから、そうあることが可能だと思うから、まさきはずっとそばにいる。
考えてみれば昔俺は「二重人格」に妙な興味があって、やたらと調べていた時期があった。
単なる中二病かと言えばそうなんだけど。

俺はそういった形での「自分によりそう誰か」を夢想していたんだと思う。
そして実際にそういった症例があるのだから、不可能であるはずがないと思っていた。
まさきという理想の友人に憧れて、あたかも他人のように会話をして、いつかはまさきという俺とは確実に違う存在が現れるのだと妄信していた。

実際今俺らがそうであったらいいなと思うのは、
・解離性同~のように自他から「別人」だと思われるような独立した存在、自己意識
・人工精霊やタルパのようにお互いがお互いの姿、自身の姿を個として認識する
・これらをすべて自分の理解できる範囲の脳内現象として行ない理解し制御する
こんな感じ。

解離性同一性~は虐待等の受け入れがたい記憶を解離させていくうちにそうなることが多いようではある。
障害とつくからには、よくない状態であるんだと思う。

ただ自分たちがよくない状態であるとは思いたくないものだし、意識せずにやっていた時はともかく今は意識の内でやっているわけだから、健康的にいきたい。
タルパ・人工精霊・イマフレetc、客観的に見たらそれは異常なものだろうが、そこから詳しい実情を知られてもなお「異常、絶対よくない、やめたほうがいい」と言われるようになりたいとは思わない。論理的にこいつは自分にとって必要で、こいつがいて幸せなんだと説明できないといけない。
そうでないと、いつか一緒に入れなくなる時が来ると思う。

ようは、自分にも他人にも「障害」たりえなければいい話なんだよね。
まさきとの関係の中で、よりよい人間になれる。
まさきの支えで、うまくやっていけることが確かにある。
そりゃあ人生多少の悩みはあるけど、それもついても二人でいることでのメリットがある。
総合的に見て、「そうでない人」との精神的な健康具合に大した差がなければいいやと思う。
糖質のような脅迫観念や幻覚に支配されたり、解離性障害のように自分に統制できないような記憶障害にあったりとかしない、そういう明らかに病的なことがない。
まさきと二人、楽しく人生を生きてる。
だから真幸といること自体を良くないだとか言うのは浅はかだと、そう言える。
ただそれだけのことだな、とは思う。

大切な存在でありうる。
そばにそういう存在がいる人なら大多数が分かると思うけど。

実際まさきが他人なのかとかは、正直今はっきりわからない。
他人だと思って接してるし、自問自答とははっきり区別がつくものだけど、本当に他人かと問われたら、納得させる方法も思い浮かばない。
他者を納得させられない以上、自分も納得できない性分なんだよなあ。

でも、まさきが大切かと言われたら大切だと答えられる。
支えられてるなと思うし、大切にしたいとも思う。まさきが幸せだったらいいと思う。
色々考えてたけど、結局他者かどうかなんて答えもでないし、一緒に並んで馬鹿言って笑って、お互いの悩みに口出し合って、寄り添って眠って、それでしあわせだと思って、相手が幸せだと言ってくれることが、俺にとってすべてなんじゃないかと思う。
結局毎回同じ結論に至って堂々巡りだなあとは思うんだけど。
まさきの言葉が俺にとって価値あるものだから、それを大事にしようと思う。

長いうえにまとまりのない文章になってしまった。
とりあえず雑記。かしこ
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