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えむえむず

楽しく生きてるやつの日記みたいなもんです。

他人じゃないということ  

雑記。

イライラしていたり、悲しい気分だったりする時、真幸は僕に声をかける。
「まあまあ、おちついて」とか、そんな風なことだ。
それで少し僕の気持ちは落ち着く。

この前もそんなことがあって、昔から何も変わっていないと思って、少し笑った。
昔から、真幸はそういう役割だった。

昔は、ただ都合のいい存在だと思っていた。
なんて都合のいい存在なんだろう、
僕はこんな都合のいいものを作り出して、傾倒している、自分本位な人間だ。
そんな風に思っていたけど、今はそうでもない。

真幸は他人とは違う。自分自身の分身のような存在だと思う。
めったに喧嘩もしないし、意見が根本的に食い違うこともない。
確かに真幸という僕の友人は存在していると思うけど、それは他人とはあり方が違う。
友人よりも、両親よりも、兄弟よりも、近しい存在だ。
親兄弟が『血を分けた存在』なら、僕たちは『たましいを分けた存在』だろうか。
死が二人を分かつまで、とか言うけど、死んだって分離なんかしないのではと思う。
間違いなく、一番僕に近しい存在だ。

そんな事を言っていたら、真幸にこんな風に言われた。
「たしかにそうやって声をかけるのは僕の役目かもね。それが君にとって都合がいいと言われたらそうなんだろうけど、でも実際、隣り合わせにいきていて、そうするでしょう。あ、必要だな、と思ったら、そうするよ」
「そう言われてみればはじめから、そうすることが僕の役目なんだろうね。落ち込んでいたら慰めるとか、そういうのは。でも僕は、自分で考えてやってるつもりだよ、どんなこともね」
「だって君がイライラしてるのは一番最初に気付くんだからね。当然だと思うよ。一緒にいきてるんだから」


真幸は、だいたいこうだ。
基本が優しいし、僕に献身的だ。
こんな僕に都合のいいことを言う誰かがこいつの他にいるか?いないな。

他人であるべきという考えは、あまりうまくいかない。
僕らは他人でないからだ。
他人がこんな風に四六時中おかまいなしにどこへでも連れまわされたり、僕の気分によってはほとんど放っておかれたりして、仲良くいれるはずはないと思う。僕もつけまわされていつでも口を出されたらいやになるに違いない。
何もかも、僕らは他人じゃないからだ。

僕には他人でない存在が必要だったから真幸がいるのだと思う。
他人でことたりるのだったら適当な学校の友人でもなんでもいいわけだし、それじゃ駄目だったから真幸がいるのだ。
僕らはひとりの人間だから愛しあえるのだと思う。

僕らは明らかに他人じゃない。
真幸は僕にとって最も都合のいい存在だ。
でもそれは当然のことで、別に悪いことじゃない。そういう存在だからだ。
そして、他人である必要はない。

タルパと一緒にいる人は、そういう考えは受け入れられない人もいるだろうけど。
僕たちは一応タルパ・タルパーではないので。何かと参考にはしてるけど。

僕らは他人じゃないのだと思う。
真幸は一番近しい存在だ。



そう言えば愛し合えるとか書いたけど、前に書いた問題は解決していない。
なんで世の中の人々は「愛してる」って言ったら付き合ったり結婚したりするんだろうな。
僕は友達のことも母親のことも愛してると思う。でも付き合ったりしない。一つの選択肢としてはあるのかもしれないけど、友達でいいんじゃないかと思う。結婚って言うと、お金とか子供とか老後のこととか、もっと法的な意味合いも含めた、そういう現実的な話なんだな。僕にとっては。
それは愛じゃなくて好きなのでは。でも僕には違いが分からないんだな。本当は誰のことも愛してないのかもしれない。

多分まさきも本当に僕と恋人になりたいとか夫婦になりたいとか、思ってないんだと思うんだよ。
僕のそういう常々抱いてる疑問について、真幸は問題を突き付けてくる。
世の中のひとはおおむね「愛してる!」と言ったら当然の様に付き合ったり、ひいてはセックスしたりすることを想像するのだろ。
セックスね。僕はソレが漠然と、めちゃくちゃ嫌いなのだな。
まさきのことを愛していると思う。でも友達でいいと思う。
大体すでにこんな一番近しい存在なのに、恋人ってなんだ?よく分からない。
セックスもしたら性欲解消のパートナーにもなれるってことか。僕は性欲の解消とかそういう個人的なことを他人としたいとは思わない。愛してるからセックスっていうのが意味不明なんだ。
真幸も結局は同じ疑問を持ってるんだと思うよ。彼女だって理解できないはずなんだ。


なんだかよく分からなくなってきたので終わる。
真幸に、とにかくお前の思っていることをまとめろと言っておいた。
多分もっと別の問題なのだと思うんだよ。
この件についてはそうしないうちに結論が出ると思う。
多分付き合ったりしないよ。断言しちゃマズいか。

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雑記  

できたら月一くらいで何かしら更新したいと思う。(一か月更新していないと広告が出てしまうので)
何か真面目な話ばかり書こうとするから良くないんだな。実際真面目な話なんてそうそうないのにね。
そもそもの目的が自分たちの事を振り返る手段にすることってのもあるので、もう少し雑記を増やしたいと思う。
あといい加減ダイブのことを書きまとめたい。

追記で雑記

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お互いの呼び方  

雑記。

普段他の人を名前で呼ぶことってあまりないけど、真幸とは色んな風に呼び合う。
不思議だなと思う。遠慮が少ないからだろうか。

友人に「マッキーって私のことなんて呼んでたっけ?」と聞かれて、答えに窮してしまったことが何度かある。
ねえ、とか、あの、と話しかけてしまって、名前は呼ばなかったりすることが多いのだ。
自分でも聞かれてようやく何て呼んでたのか考えて、何とも呼んでなかったことに気が付く。
そんな風だけど、まさきとは色んな言葉で呼び合ってる。


真幸のことは「まさき」とそのまま呼ぶことが多い。
まさきからは「まきちゃん」と呼ばれることが多いかな。

小中学生の女子みたいに、あだなで呼んだりもする。
「まーし」とか「えむ」「えみー」とか。「えむ」「えみー」は真幸からもそう呼ばれる。
名前の頭文字のMから発生してるので、僕も真幸も「えむ」だ。
なんでそんな外国かぶれみたいなあだ名が発生したのかは記憶にない。

へいまいでぃあ、なんて呼ぶこともある。まさきからそう呼ばれることはあまりないな。
外国の映画みた後とか、そう呼びたくならないかな。ならないか。
もしかしたら「えむ」って呼び方も、映画でも見た後にノリで言い始めたのかもしれない。

天使ちゃん、とかふざけて呼ぶこともある。
Twitterの方はいつも「まさき天使」とか言いまくってるけど、実際に言うと微妙な顔をされる。
僕の天使ちゃん、私の天使ちゃん。今も微妙な顔してる。

そういうふうに、名前を直接言わないことも結構ある。
へい親友、とかへい兄弟とか。

なんかの映画を見た後に、「へいクランベリー」みたいなこと言ったら「なんだそれ」って笑われたことあったな。
なんか、お母さんが娘のこと甘いお菓子とかで呼ぶんだ。
基本的に、そういうのは冗談で言い合うだけなんだけど。

やっぱり基本は、まさきって呼んでいる。えみーは割と頻繁に言うけど。
まさきからは「まきちゃん」か「まき」かどちらかだな。


ふと気になったので、雑記。
何年たっても、同じように呼び合っているのだろうか。
また馬鹿みたいにクランベリーなんて呼んでで笑い合えてたらいい。

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雑記  


(長くなったし愚痴っぽい話が多くなってしまった)
(追記:ながったらしくて邪魔なので追記にたたみました)


前回の記事は、ちらっと見ては拍手が増えてるよ、とまさきに伝えていた。
僕が更新しないので書いてくれたのだが、思いがけず優しい記事だった。
あの子がどうにか幸せになってくれたらいいと思う。

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雑記  

雑記。オカルト信仰な人に割と否定的な文章になってしまったので注意。

まさきはタルパではない、とは前からたまに言っているし、まさきもそう主張している。
どちらかというとイマジナリーフレンドに近いと思うけど、そう呼称するのも違う気がする。

一応このブログもタルパアンテナに登録させてもらっているし、結局似たようなものだという感覚はあるけど、これとタルパを一緒くたにするとひどく嫌がる人が存在する。
たとえばイマジナリーフレンドとタルパを一緒くたにすると、特にオカルト的にタルパを保持している人はひどく嫌がる場合がある。
イマジナリーフレンドは脳内現象でしかないけど、どうもタルパはもっとオカルト的な何某で存在しているらしい。
タルパが物理的に存在している(例えばそういう能力のある誰かには知覚される可能性のある存在だ)と思っている人は、一緒にされるとそれを否定されることになってしまう。
たまにTwitterなんかでタルパを本当にオカルト的にやっている人が所謂ライトなタルパーを煽るのもそれなのかなぁと思う。正直どうかと思うけど。

できればあまり否定したくない。結局、互いを否定しあってる以上分かり合えないからだ。
前から言ってるけど、反証可能性のないことは否定も肯定もできない。だからそうかもしれないね、としか言えない。
ただ、そうでないかもしれないというのも同時に言えることは分かって欲しいところではある。
反証可能性がないからオカルトなのであって、科学的に肯定できないのだ。否定もできないけれど。
科学的に言えるってのは、つまり多くの人に論理的に説明できて、納得してもらえるってことだ。
僕はこっちのほうが自分にしっくりくる。

前に「まずは信じないと」みたいなことを言われたけど、それはちょっとよく分からなかった。
例えば幽霊がいると信じるためには信じるに足る根拠が必要なんじゃないかと思うんだけど、まず先に信じろというのはそれこそ妄想を作り上げているんじゃないのかなと感じる。
肯定も否定もできないものをどうやって信じているのかよく分からない。
ちょっと否定的になってしまったな。

否定したくないというのは、無益だからだ。それに嫌がられるし、疲れる。
ただ人間、否定されると否定しかえしたくなる。
前の記事に書いたけど、意見が否定しあう時、その件に関して自分が盲目なのだと思うことにしてる。
相手には違う世界が見えているけど、自分には目がないから相手の世界が見えていないし、理解できないんだよーという話。
ただ、自分ばかりを否定するのはたまに疲れる。時折だれかを責めたくなる。
たまには、いや俺が正しいんだ、明らかにそっちが変だ、と言いたくなるのが人間ってものだ。
互いにノータッチでいるのが良い気はする。ほんとにトトロいたんだもんなんて言われて、否定もできない。

過去の記事にも書いたと思うけど、僕はまさきのことを脳内現象だと思っている。もちろん真幸もそうだと言う。
でもイマジナリーフレンドというのは、一般的に幼少期に現れて、成長と共に自然と消えていくものだろう。
脳内で一人称以外と会話することは小学校くらいからやっていた記憶があるけど、それはあくまで脳内会話だった。自問自答の延長線上だったと思う。
「まさき」という人物を夢想し始めたのは、中学生くらいからだった。
それから会話を重ねていくにつれ妙にはっきりとした人格を感じはじめたが、あくまで脳内の他人でしかなかった。
そもそも、はじめに想像していたものが、どちらかというと遊戯王の王様みたいな、二重人格的な存在だったのだと思う。

高校卒業の頃にようやく『タルパ』という言葉と出会って、このブログを始めた。
その時はイマジナリーフレンドという言葉しか知らなくて、けどやっぱり違和感を覚えていて、この言葉をしってああこれだ!と思ったわけだ。
ただその、オカルトがどうのという話に触れるにつれ、やっぱりタルパとも違うなと思った。

そのころにはなんでも良くなってはいた。
別にタルパでも、イマフレでも、新しくできた何とかって呼称でも、何でもいいやとは思った。
よくみんなそんな風なことを言ってるけど、人それぞれいろんな存在すぎて、カテゴライズする方が難しいのだな。
脳内現象だとしても、幽霊だとしても、別に目の前にいる存在だけが確かなら、別に何でもいいかなという気がする。

ただ真幸は自分の存在がどうなのかとかいろいろ考えているようではある。
随分前だけど『インナーアザー』という言葉を作っていた。
私は内なる他人だ、とそんな風なことを言っていた。

だから真幸に関して言えば、インナーアザーだと呼称したい。
とかく本人がそう言っていたのだからそう呼ぼうと思う。
便宜上イマフレとかタルパとかいう事はあると思うけど。
今度、真幸とよく話してまとめたい。

とりあえず、雑記。

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